2014年7月『不登校の気持ち』 西野博之氏

不登校の気持ち 

~生きづらさを抱えた子どもたち~

                                   

講師:西野博之氏   

NPO法人フリースペースたまりば理事長・精神保健福祉士

                                              

川崎市子ども夢パーク所長・フリースペースえん代表

  

 

 

第一部:不登校のお話  ~何が大切か~     

<この活動を始めるきっかけになったお話>

☆きっかけは小学校1年生の男の子との出会いでした。彼は目にいっぱい涙を溜めて訴えました。「ぼく、もうおとなになれない。」この切ない絶望感、『周りのみんなは2年生、3年生へと進級していく、ずっと階段をのぼっていく、でも僕は一段目の階段を踏み外しちゃった』そう思ってしまった6歳の子には、その先に道が見えなかったのです。不登校の問題は、今この学校に行けなくても、この先に進路が、育つ道・学ぶ道・生きて行く道がはっきりと見えていればこんなに苦しまないのに、多くの場合、“学校に行かなくなったら大変だよ”というメッセージだけが、本人や親御さんの元に届けられることにあります。本人や親御さんは真っ暗な中に落とし込められたような気持ちになってしまうのです。これが、不登校の難しさです。彼もランドセルを買ってもらって、学校へ行くのを本当に楽しみにしていたのですが、やっと学校の始まったゴールデンウィーク明けに、入学から僅か一ヶ月ちょっとで行けなくなりました。行こうと思うのに、行かなきゃと思うのに、どうしても体が動かず、玄関を出ようとして体が動かなくなりました。

 

・・・不登校の入り口で、頭と体、どっちをとりますか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まず、不登校の入り口にいるご家庭のお母さんお父さん、頭と体どっちをとるかという、判断材料・目安を手に入れてください。脳は、どうにかすればごまかせるかもしれません。行かなきゃね、行くべきだよね、行こうね、そう思うことはできます。しかし、家の玄関を出ようとして、体が動かない、足が動かない、腹痛・頭痛が止まない、こうなったらもうこれは体がSOSを上げている、限界に来ているということです。その時は休むしかありません。そのことが学校社会の中ではなかなか伝わりにくい

のです。頭から来たのか、体から来たのか判断して、体がSOSをあげたと判断したときは、まず休ませるというのが最初の目安です。

☆もう一件は、しんどい事件です。中学校2年生の女の子が、お母さんの無理心中に巻き込まれました。彼女は夜になると、元気になります。夜は誰にでも平等だからです。学校に行かなくても良い時間、テレビを見ていても、アニメを見ていても漫画を読んでいても、パソコンをやっていても誰も文句を言わない時間、だから夜は元気です。その時、お母さんは娘に約束をさせます。「明日は行くわよね。ずいぶん休んでいるのだから、学校へ行くのよ」。彼女は「明日は学校に行く。」と言ってしまいます。だけど朝になると起きられない、それを繰り返します。お母さんは、とうとう頭にきて「冗談じゃない、あなたは、どれだけ約束を破ったら気が済むの?いい加減にしなさい。昨日の夜約束したばかりなのに、また嘘をつくわけ?ズルだね、ズル休み。」と言って娘をなじります。娘は泣いて、どうしても布団から出てくることができません。

 

・・・昼夜逆転にも意味がある・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここもまた一つ、手に入れてほしい親御さんへのメッセージとして、朝起きられない“昼夜逆転”を、頑なに“問題だ”として、「生活リズムを立てなおしなさい」と言わないことです。ついこの間も文科省の発表で、「生活リズムの乱れが不登校の原因の2番目だ」という発表がありましたが、そうすると朝起きられない子は「まずそこを改善するように」と言われるでしょう。でも、起きられないことにも意味があるということをどうか知ってください。まじめな子ほど、動けなくなるかもしれません。それは何故でしょうか?朝のテレビ番組から「行ってらっしゃい。」という声が聞こえてきます。隣近所からも「行ってきま~す。」と聞こえてきます。まじめな子はその声を聞きながら、“あー、私ってやっぱりダメな子”“俺って、ダメなんだ”“みんなはこうやって朝学校へ行って、会社へ行ってそれが人間の当たり前の道なのに、(自分は)朝起きているのに、家を出ることすらできない”“怠けなんだよ”“ズルなんだ”“弱いんだよ”“生きている価値なんてないんだよ”そうやって、自分を責めていくんです。そうすると体は“ちょっと待って、これ以上責めたら本当に心が壊れてしまう”と判断して、SOSを出します。つまり、起きられない体を作るんです。昼夜逆転の基本的なメカニズムを、私たちは27年間の中で子どもたちから学びました。それは「昼夜逆転が“ヘルプ”だ」ということですこれ以上、自分の心が壊れていくのを防ぐために、朝起きられない体を作っていく、そうすることでそれ以上自分を責めないようにするのです。朝起きてしまったら、まじめな子ほど学校へ行けない自分を責めるからです。起きられない体を作ることで心を守るんです。そのことも、どこか頭の片隅に入れておいてください。生活リズムの改善と称して、ただ朝起こしさえすればいいのか、朝起きた後、何をするのか、どういう道がみえているというのか。ただ、「起きなさい。」と言われる、それだけで苦しんでいく子どもたちがいます。もしかしたら、“今は起きられない体なんだよな”ということを受け入れていくことが、本当はお父さんお母さんが考えている(望んでいる)、(社会復帰への)早道なのかもしれないのですが、最初の頃、お父さんお母さんはそのことになかなか気が付かないのです。

そんないきさつで、彼女は朝起きられなくなりました。お母さんは、とうとう、夫に救いを求めて、「あなたも何か言ってちょうだいよ。もう、何週間も学校に行っていないのだから、お父さんからも話して下さいよ」と言いました。妻としては夫が話をつけてくれると思っていたのに、夫の矛先は妻に向かいました。「いい加減にしろ、バカ野郎。情けないなぁ、学校へも行けない子どもに育てて。お前が甘やかすからこんなだらしない子になったんだ。全部お前のせいだ。」と、妻をなじりました。妻が責めらたんです。それどころか、妻は夫から責められただけではなかったのです。二十数年前の日本の状況です。 お姑さんからお嫁さんへのバッシングが起きました。「孫が学校へ行けない?!冗談じゃない。うちの孫が学校へ行けないなんて。嫁の血が悪いんだ。我が家の血が汚れた。」 ひどい言葉ですよね。耳を疑う様な言葉を、このおじいちゃんおばあちゃん(舅・お姑さん)からお嫁さん(お母さん)に浴びせられました。とうとうお母さんは緊張の糸がプツンと切れ、「そこまで言うんですか。娘が学校へ行けないのは全部私のせいですか。もういいですよ。わかりましたよ。」。そして娘には、「あんたもつらいけど、お母さんももうここまで言われたら生きていたくない。一緒に死んじゃおう。」というメッセージを出してしまいました。一方娘は、お母さんが布団を引きはがして何とか学校へ行かせようとしていた時、とうとうたまりかねて「あ~あ、私どこで子育て失敗しちゃったのかしら」とつぶやいた、その言葉を聞き漏らしていませんでした。「えっ。お母さん、今何て言ったの?どこで失敗しちゃったのかしらということは、私って、失敗作なの? お母さんを困らせているダメな子?私なんか生まれてこないほうがよかったのね。」というところにスイッチが入ってしまいました。彼女は泣き続けるしかない、お母さんはお姑さんから酷いことを言われて生きて行く望みを絶たれ、そして無理心中をはかりました。幸いなことにこの母娘、命はとりとめました。

数年前に私は彼女に会うことができました。彼女はその後、東京の某私立大学の大学院を卒業して、法律の専門家になっていました。「あの時、死なないで良かったね。」と、再会を祝いました。

 

<不登校ってなに?>

 そもそも不登校って、学校の自分のクラスの中に居場所が見つからない、ただそれだけの話です。たったそれだけの話なのに、よってたかって本人、そして親御さんが責められます。その結果無理心中のような悲しい事件は、わたしの周りでこの数年の間にも起きているんです。一方、誰も全く私・俺の苦しさをわかってくれない辛さに耐えかねて、子どもが壁に穴をあけ、親を殴るといった家庭内暴力で苦しんでいる家庭もあります。冒頭でお話しておきたいのは、不登校の問題は、これは命の問題だということです。たかが学校に行けないだけの話です。誰がわざわざ自分の子どもを、お腹を痛めて苦しんで、ここまで育ててきた子どもの命を断とうなんて思うものかと、みなそう思います。冷静に考えれば、誰もがそう思うはずのことなのに、その原点がわからなくなってしまうほど追いつめられてしまうことがある。命にかかわる問題なのだということを頭の中にしっかりと入れておいてください。そうでないと、単にたかだか学校に行けないぐらいのことだと、思ってしまいます。今、学校に行っていない子は、文科省の発表で全国、小中高で174千人です。高校中退を入れると22万人を超えています。これだけたくさんの子どもたちが、学校に行けないでいます。私たちが活動している神奈川県は、最新データによると公立の中学生29人に一人が不登校です。川崎市内の中学校だと、多い学校で一校に40人くらいいます。それぐらい、不登校の子はいるんです。

 

・・・じゃあ、学校に行ってさえいれば安心なの?というところを考えてみましょう・・・・・・・・

ひきこもりのデータは、内閣府の発表で70万人です。DVDのレンタルショップくらい行ける、コンビニくらい行ける、でも基本的に、家族以外とコミュニケーションとらない、家から出られない、部屋から出られない、そういった人たちが沢山います。そういったひきこもり親和群も入れると、155万人と内閣府が発表しています。「不登校の延長でこのままひきこもって、このまま一生外に出られなくなったら、どうなるんですか。」、親御さんは不安ばかり持っています。不登校のままずっと外に出られなくなるということはほとんどありません。それは不登校の時期にどういう関わりをしたかにかかっていているのです。不登校って、そのこと自体は決してダメなことじゃない。だけど“ダメ”っていうメッセージばかり浴びせてしまいがちです。このままずっと外に出られなくなっちゃうんじゃないか、そう不安に思うからです。確かに何割かはいるかもしれません。それは大体、親御さんに責め続けられた子たちです。「だらしない。」「情けない。」「学校も行かないで何やってんだ。」・・それを言われ続けて、自己否定を続けていた時間が長いぶんだけ、ひきこもると思ってください。5年間言い続けていたら、5年間引き込もる、その後まで長引きます。

 

・・・不登校で大事なのは、不登校の期間中をどう経過するかということなんです・・・・・・・・・

 神様がくれたギフトかもしれない。そこまでの転換ができるといいのですが、それは簡単なことではありませんね。本人が一番つらくて、苦しんでいるのです。長く相談を受けてきた私の実感としては、、学校を休むことすらできないまま行き続けて、親が望むいい高校に入り、いい大学に入り、いい会社に入り、それからプツーンと糸が切れた様に動けなくなっている人、こちらの相談の方が多いですね。子どもが学校に行かなくなってしまって悲劇だと、今は思っているかもしれませんが、では何とか学校に戻ったら安全か?では学校に行き続けていてくれたら安心か?そんな話でもありません。学校に行き続けている間に、「きもい」「ウザい」「消えろ」「死ね」と言われ続け、ストレスをためたまま、自己否定を繰り返す。それでもなんとか親に心配をかけないように、いい子を演じながら高校・大学に行き、他人から羨まれるようないい会社に入ってから、何かのきっかけで、外に出られなくなったり、動けなくなってしまったときが本当につらいですね。30代、40代になって家から出られず、壁に穴を開けたり、親を殴ったりしなきゃやってられない子どもの切なさ。親が70代になった頃に子どもから殴られる、罵声を浴びせられるそのつらさ。そんな親子をどれほど見てきたことか。だからどうか、学校に行くとか行かないとか、そんなことで責めないことです。学校復帰をチラつかせて、早く学校へ行ってほしいと迫らないでください。無理に引きずり出してもいいことはありません。出るタイミングは自分の中で徐々に用意されていきます。あとはきっかけだけ。そこら辺の親の焦りをどう取り除けられるかが、実は大きなことなのです。

 子どもたちはいま、様々な形で生きづらさを抱えています。文科省が発表している問題行動調査(毎年9月に文科省が発表)によれば、文科省がデータをとり始めて以来、小学校で起きている暴力行為は過去最多です。対教師暴力、これは15%くらい、学校の壁に穴開けた、ガラス割ったたなどの器物損壊、これは24%くらい、合わせても4割くらいです。残りの6割は対生徒間暴力です。生徒同士が、体を傷付け、心を傷付け合っている社会なんです。これはとても深刻なデータですね。親は学校さえ行ってくれれば安心だと思っている、でも実際には、安心であるはずの学校で、子どもたち同士が体を傷付け心を傷付け合っているのです。これは、いじめに代表されます。

 

・・・大津の事件・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 一昨年、大津でいじめ自死がおこりました。いじめによる自死が昨年大きく報道されて以来、もう一回再調査がありました。文科省は去年の今頃、いじめは減ってきていますと発表していました。年間約7万件くらいですと。ところが大津の事件報道後、去年4月から9月に行った再調査の結果が秋口に出ました。僅か半年間で14万件です。それでも氷山の一角でしょう。今学校で起きているいじめは、半年で14万件。その中で、命にかかわるような重篤ないじめ事件というのが、かなり多く発表されました。そうこうしている間に、つい最近またおきました。この一週間の間に、いじめ自死の報道がありました。神奈川県でも今年4月にも、中学生が自死しています。相変わらず、いじめによって命が絶たれてしまった事件は減らないのです。なのに、学校に行かなくなった、行けなくなったと言って子どもを責めるんです。「それくらい頑張らなかったら。」「学校くらい行けなかったら。」「会社くらい行けなかったらどうするの。」「この先どうなるの。」

 

・・・川崎の事件・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

川崎でも悲しい事件が起きました。3年前の6月、中学3年生の男の子が、修学旅行から帰った翌日に、トイレに立てこもって硫化水素を発生させて亡くなりました。彼の遺書は全国に報道されました。『友達のいじめをとめられなかった。』と書いてありました。友達のいじめをとめられなかった、彼はこんなこと見逃してちゃいけないと、いじめに立ち向かいました。しかし、その結果、矛先は彼に向かっていきます。トントンと肩をたたかれ振り向きざまに殴られる。一人に後ろから羽交い絞めにされ、残りの3人がズボンをおろし、パンツをおろす。思春期の中学生の男の子が、下半身を曝される屈辱って、ちょっと想像しただけでわかりますよね。女子生徒や男子生徒の前で、自分の一番大事なところを曝される。とうとう力尽きて、彼は死んでもこいつら許さないと4人の名前を遺書に記して命を絶ちました。この少年のお父さんと、先月一緒に対談する機会がありました。息子さんが亡くなられてからたまりばの20年記念フェスティバルに、知人に連れられてはじめて来てくださいました。彼は勇気をもって、NHKにメールを送ったそうです。それが先々月くらいにEテレの番組でとり上がられました。「なんでこんなにつらかったのに、父さんに言ってくれなかったの?母さんにいってくれなかったの? そしてテレビを見ている思春期の皆さん、教えてください、私は息子を亡くしました。この悲しみは耐え難い悲しみです。時間が止まってしまいます。普段から話ができていると思っていたのに、どうして父さん母さんに、『こんなに辛い、悲しい、苦しい』と言ってくれなかったのか、それを私はずっと考えています。」

 

・・・子どもたちは家では何も言わない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その後いじめに関する対談をしていても、この番組の反響をみても、わかってきたのは、親に心配をかけられないと思う子どもたちの気持ちです。「助けて、辛いよ、苦しいよ。」と言えない子どもたちの姿です。親に心配かけたくないんです。そして、いじめられているということを、受け入れたくない、自分のプライドもあります。「冗談じゃない、こんなのいじめじゃねえよ。どうということねえよ。」と思いこもうとして、ひとに言えない。さらに多くの子は、〝言っても無駄だ″と思っています。〝言ったってどうなるわけじゃない″〝ヘタに言えばもっとひどいことになる″〝親に言って先生に伝わって、その挙句、それがみんなの前でいわれてもっとひどい目に合うかもしれない″〝お願いだからそっとしておいて″。公開対談で発表された中にも、スクールヒエラルキーやスクールカーストの話がありました。それは、学校の中のいじめっ子をピラミッドの頂点にたとえたカーストのことです。強い影響力を持つ子どもに対して、先生もその子どもの影響下に入ってしまうという現象のことです。発達障害などの背景がある子に対して、理解のない先生が「またおまえ動き回って、邪魔だな、いい加減にしろ、何回言ったらわかるのか。ほかの子の迷惑を考えなさい。」と言ってその子を叱る。そうすると、正しくまじめにいようと思っている生徒たちが、「先生を困らせている、情けない奴。そんな奴は消えてもらっていい。」と、その子がいじめの対象になります。ましてそれが、教室の中で実権を持った子が「正しい子」のふりをして頂点となってのことだと、先生はその状況の中でその支配下に巻き込まれます。みんなでその子をターゲットとするいじめがクラスの中にはびこります。そういう中で命を落とすところまで追い込まれる子どもたちもいるのです。

今年の3月、最新の警察庁の発表では、去年一年間に亡くなった小中高校生は336人です。毎日、日本のどこかで1人、子どもたちが自ら命を絶っています大学生・専修学校生まで入れると971人の命が去年1年間に絶たれました。毎日2人か3人が、日本のどこかで命を絶っています。

 

・・・学校に行かない理由は説明できない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もう一つ、親御さんたちに伝えたいことは、子どもが学校に行かない理由を説明できると思わないでほしいということです。ここも大きな親の勘違いです。27年間子どもたちと出会った中で、自分が学校に行けない理由を明確に話せるという子はほとんどいませんでした。だいぶ経って、もう彼らが成人してから、かつて不登校をしていた子たちと飲みに行って話すことがあります。子どもたちはみんな口々に「あんときさー、西やんにこういったけどさー、でもあの理由って、別に、あれが学校に行けなかった理由じゃーないんだよなぁ。」といいます。その時は、僕にどう言ったら分かってもらえるか、親にどう言ったら分かってもらえるか、スクールカウンセラーにどう言ったら分かってもらえるか、つまり相手を見て、言葉を選んで、仕方なく言葉を紡いで言っていたのだということです。これは、親を苦しませない、悲しませない、「あ、そうなのか。」と了解してもらえる理由を探しているだけなのかもしれないのです。実は本人も分からない。だから、苦しいのです。

 

<居場所づくり>

・・・子どもたちのありのままを認める・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 たまりばを始めるときに、6畳と4畳半のアパートを借りました。その6畳間にやってきた子どもたちが最初にしたことは、6畳間の押入れを開けて、天井板を外して始めた天井裏掃除でした。2週間後、子どもたちから「いいよ」と言われて中を見ることになりました。その時、ろうそくの光に照らされて(今考えると梁の上でろうそくを灯していたのだから本当は危ないことですが)子どもたちがピースをして「ここが私たちの居場所よ。」と言ったんです。“えっ。何、ソレ?” キラキラと目を輝かせている少女たちでした。

僕は、それまで、たまりばを始める前に、5年くらい色々な形で不登校の子どもと関わっていました。たまりばを始める直前は、移動型で一年間、東京近辺をいろいろまわりながら、公民館借りたり、囲碁道場の一部屋を借りたり、教会の一部屋借りたりと貸してくれるところをまわって、みんなで集まっていました。皆さんの善意に甘えて、毎日、集まれる場所を変えていました。勉強会もやりました、相談にものりました、体がなまらないようにアスレチックに行ったり、カラオケに行ったり、子どもたちといろんなことをやりました。そしてついに私は居場所まで借りてあげたわけです。みんなから感謝の嵐だと思っていました。若気の至りで、“ドウよ”とドヤ顔でいたら、子どもたちが天井裏に立てこもったのです。彼らのメッセージは、私にはこう響きました。〝あんたも、父さんや母さん、そして先生たちと一緒。結局、私のままでいいと思っていないでしょ?変わんなきゃいけない・・・?″そんな風にがんばって変わりなよっていうメッセージばかりが伝わってくるよって。後頭部をハンマーで殴られたような衝撃が走りました。わかっているようで、何も子どもたちの気持ちを受け止めることができていなかった。そこで「じゃープログラムのような、何かをしなきゃいけないとかを決めるのをやめよう。」「何もしないことも保障しよう」っていうので始まったのが『たまりば』なんです。

 

・・・そして、『子ども夢パーク』へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 子どもと毎日昼食を作って食べ、多摩川の河原で遊びながら過ごす様子を見聞きして、校長会からも教育委員会からもバッシングの嵐を受けていた私たちが、90年代後半文科省の調査を受けることになりました。こんないい加減なことをやっていて、子どもが学校に戻れるようになるのか、社会に出られるようになるのか。挑発的な調査の依頼でしたが、迷った挙句、受けてみることにしました。結果は私たちが想像しないものでした。最初のアパートで過ごした子どもたちが、78年経ってどうなっていったかというと、ほぼ9割がたが高校など学校周辺に進学していました。高校に行っている、或いは大検予備校に通っている等だったんです。その時、私たちは愕然として、〝なんと生きにくい社会なんだろう。不登校したあとに、やっぱり高校とかに行かなきゃ生きて行けないってことなのか?〟と、ちょっと暗い気持ちになりかけたんです。でも、子どもたちは、「アルバイトしようと思っても、高校とか高卒以上って書いてあるからアルバイトも出来ないし、小学校・中学校と学校行っていないから、高校で一度学園生活っていうのをやってみたいんだ、ただそれだけさ。」というのです。”そうか、何も強制されずに思い切り遊んだ後に、彼らはそういう風に考えるようになるんだ“ということに気づかされました。そこからです、国も県も市も挙げて、”居場所に何か鍵がある・・・!“となりました。

それまで適応指導教室を作って、早く学校に戻そうとどれだけやっても、なかなか教室にすら来てくれないし、元気にもならない。家からも出られない。ところが『たまりば』みたいないい加減なことをやっているところで、どうして子どもたちが元気になるんだろう。居場所に鍵がある。そこで施策の方向が大きく変わりました。そして私たちのような取り組みが評価され始めたんです。私も策定に委員として関わった川崎市子ども権利条例が2000年12月に議会を通過します。その後すぐに2001年新春、市長の口から「子ども夢パーク」構想が発表され、夢パークづくりへと入っていきます。私たちの取り組みは、行政との協働事業へと形を変えることになりました。            

 

えんって、こんなところです

2001年に川崎市子ども権利条例を施行し、子どもの人間としての大切な権利を7つに位置づけ、これに基づいて出来たのが、『子ども夢パーク』です。その中に日本で初めての公設民営の『フリースペースえん』があります。

ここでは利用料を取らず、経済の垣根を越えることを実現しました。生活が困窮している家庭の子どもたちでも安心して通ってくることができます。またあらゆる障がいに対して、受け入れをしています。発達障がいや知的・精神的な障がいをかかえている人たちも通って来られるように、権利保障の基にできあがった場所です。非行傾向の子どもや茶髪・金髪のままでも来ることができます。あらゆる子どもたちに対して、一方的に排除することなく、大人たちは関わり続けようと、覚悟を決めている場所です。

 

♡毎日ごはんを作って食べる

えんは暮らしの場です。ご飯を作ったり、勉強したり、楽器を演奏したり、絵を描いたり、モノづくりをしたり、パソコンやったり、本を読んだりしています。ゲームも禁止していません。なぜなら、ゲームでようやく人とコミュニケーションをとっている子どもたちがいるからです。「学校にも行かず、自分は何をやっているんだろう」と自己否定を重ねているときに、辛うじてゲームで自分を紛らわせて、過剰に自分を責めることから逃れている子どもたちがいます。ゲームが命を繋ぐツールになった子は、実は相当たくさんいるのではないでしょうか。ゲームを思う存分にやった後に、不思議とゲームだけの生活から抜けるタイミングが来ることがあります。それは、自分の中に欲が出てきた時です。ゲームも面白いけど、”こんなことやってみようかな”“やった方がいいかな”と思うものが見えてきて、この俺でも大丈夫、私でもきっとなんとかなるという感情が広がってきたら、ゲームじゃないものにも手を出すようになるものです。だからずっとゲームづけで一生過ごしてしまうのではないかなどと心配しなくていいのです。

私たちの基本理念は、「自己肯定感を育むこと、生きているだけで祝福される、そんな場の実現」です。「ふつうとか、あたりまえ」といった、世間一般の物差しを持ち込まないそれが持ち込まれると、子どもはどんどん元気を失います。その子が勉強したいと自分で思った時がその子にとっての取り組みの始まりなのです「いま勉強やっていなかったら、君には将来は無いから。」などと脅しをかけてしまうのが一番よくありません。そのことで子どもは追いつめられて焦るだけです。今さらやっても間に合わないという気持ちにさせられてしまいます。本人に欲がでてくるまで待てば、いくらでも間にあうのです。

 フリースペースでは「美味しいね」でみんながつながることを大事にしています。10時半に集まってきた人たちが、自分たちでメニューを決めて、買い出しに行き、畑で収穫し、自分たちで作った味噌なども使って食事を作ります。子どもたちは、ホワイトソースやカレーも既成のルーなどを使わずに本格的に作ったりもします。「すっげーうまい!」「作ってくれた人ありがとう」と言う声が飛び交います。感謝される体験から、自己肯定感を獲得していきます。そしてみんなとっても元気になっていくのです。ご飯をつくって食べるって、暮らしを取り戻すということなんですね学校へは行けなくても、暮らしを取り戻すということがとても大事なんだということを学んできました。下手に勉強の遅れを気にしすぎて、子どもを潰さないでくださいね。

 

♡巣立っていく子どもたち

燻製作りが得意で“ビーフジャーキーの帝王”と呼ばれた男の子がいます。彼は中学から学校へは行かず、燻製作りや楽器の演奏に時間を費やしました。その後定時制高校に行き、今年の春に4年制大学を卒業しました。「そんな楽しい事ばかりしていていいのか、みんなが勉強している時に!」と言う声が聞こえてきそうですね。そこが逆なのです。やってみたいことにとことん挑戦する環境というのが大事なんですね。また、ある子は仲間が高校に行くときには、「俺、やっぱ行かない」と言って、数年後、高認(高卒程度認定試験)を取りました。いざ高認をとると、不思議なほど「大学へ行ってみようかな」と言い出す子が多いものです。それは、やらされていないからです。高認くらい取りなさいとか言われて、強制されて受けてもダメかもしれない。今まで私たちが関わった子たちの中で、受験を希望した子は、結局みんな取れています。けっして成績優秀な子ばかりが集まったわけではありません。取り組み方次第なのです。大学入試もAO入試など、自分の得意なもので勝負するとか、様々な入試の方法があります。自分が気になる新聞記事を30日分くらいだったかな?それをノートに貼って、自分の考えを書いて大学に提出するといった課題をこなして、大学に行った子もいます。諦めなければ道はいろいろあります。

今、僕は早稲田大学で授業を持っているのですが、“ボッチ飯”といって、一人でご飯食べていると、「あの子きもい、友達いないの?」って思われるのが心配で、大学のトイレにたてこもってご飯を食べているという子たちがいます。食べるということにも緊張を伴う時代なんですね。だから私たちは、一緒に作って食べる仲間がいるというのは大事なことだなぁと思っているのです。食事をするとき、一人じゃないんだという実感、それが元気になるポイントのひとつなのです。

 〝ケガと弁当、自分持ち。やりたいことに挑戦できる。夢パークでは、禁止の看板をできるだけ立てずに、やってみたいことに挑戦できるプレーパークづくりに取り組んでいます。子どもたちが自信を奪われていったのは、やりたいことに挑戦できる環境を失くしたことが大きいです。自分の力の限界ぎりぎりで挑戦してできたときの達成感を味わえるような遊び環境はありません。また安心して失敗できる環境と言うのも大切です。失敗を越えて行く力を育むと同時に、できないことを受け入れていく力も大事なんです。その点、遊びが持っている力は捨てたものではありません。「みんなが勉強している間に外に出て遊んでいるって、なにごと?」などと言ったりすると、どんどんひきこもりの子をつくることになります。「せっかく時間があるんだから、いろいろ行きたいところへ行っちゃおうよ。」って遊びに行くのはいいことです。そこまでいくと子どもは、〝自分はだめじゃない。悪い事しているんじゃない″と思えてきます。そうしたら、元気を回復していくのは早いのです。

こうして過ごしているうちに、その子たちがびっくりするほどどんどん巣立って行きます。不登校をしている時間にだって意味がある。その意味ある時間を否定しないでね、と言いたい。

 

♡ひきこもり支援のゴール

 神奈川県青少年問題協議会の委員をしていた時、神奈川県知事と一緒のその会議で、ある答申を出しました。ひきこもり支援のゴールは何か? 最近では“就労に結び付けなきゃ”という圧力が強まりつつありますが、私たちの協議会が当時出した答えは、「ヘルプがだせること」、「助けて」が言えるように育てよう、でした。就労をゴールに据えるとハードルが一気に上がります。そうすると、それができないことで、また子どもを追い詰めることになります。せめて「助けて」が言える子に育てよう、本当に生きるすべが無かったら、生活保護というセーフティーネットはあるのですから。

 

♡『すげー!』に出会う

 ”ひらせん”と呼ばれている科学の先生が毎月『えん』に来て、教えてくれます。このひらせんとの出会いがきっかけで、アメリカの国立の癌センターの研究員になった子もいます。例えば科学って面白い・生物って面白いと、その面白さを伝えてくれる人と出会えたら、その人の先にはいろいろな道が広がります。だから、出会いのチャンスを奪わないでください。学びの場は学校だけではありません。不登校の間を、ダメで暗い時間にしないでください。

 毎年開かれる「たまりばフェスティバル」の準備は、企画から進行、プログラム作り、チケット作りの裏方から、脚本・大道具作り、そして本番の歌やダンスや芝居の出演、楽器の演奏など、すべて子どもがやっています。こういう自分たちで作り出していく体験を通じて、子どもがびっくりするほど成長していくんですね。

 また、学校(県教育委員会)からは先生が『えん』へ一年間派遣されてきて研修します。ある年は韓国の国技である武術のテコンドーで世界選手権3位の腕前を持つコンちゃんという体育の先生が来て、子どもたちの人気者になりました。テコンドーをはじめ、いろんなことをして、思いっきり遊びました。そうしたら「こんな先生がいるんだったら高校に行ってみようかなー」って高校受験する子が増えるようになったんです。その次に来たカンちゃんと呼ばれた英語の先生は、みんなに囲碁の面白さを教えてくれました。すると子どもたちの間で囲碁ブームが巻き起こり、それまでほとんど毎日のようにゲームをやっていた子どもたちが囲碁に夢中になりました。そして囲碁6段のプロを連れてきてもらって、ひとりで3人の子どもを相手に同時に対局していただいたんです。対局後、全部流して最初から碁石を置いていきました。「で、君、この17手目のこの石がね」などと言いながら、3人分全部を再現して見せたのです。子どもたちはあっけにとられて、「すげー!」。の連発。 世の中、「すげー」に出会うって大事ですね。子どもたちのワクワク・ドキドキ、好奇心を育む。そのためには『子どものいのちを真ん中』において、おとなが柔軟な考え方を取り入れていくことが求められているのだと思います。

 

2015年9月「ひきこもりの気持ち~支援団体の現状と成果&ひきこもり経験者のお話~」

講師:髙橋薫氏(NPO法人文化学習協同ネットワーク)、ひきこもり経験者2名

2016年7月「発達が気になる子どもたち~聴覚について知っておきたい幾つかの事~」

講師:NPO法人トマティス聴覚 ・心理・発声ケア協会 二村典子氏